垂井一里塚 (たるいいちりづか)

《 昭和6年頃の一里塚 》

《 平成15年の一里塚 》

垂井一里塚は、人馬を借りる駄賃を定める目安や休息場所として慶長九(1604)年徳川家康の命により主要街道に築造された一つです。

江戸日本橋より一里ごとに街道の両側に五間四方の塚を築き、頂上に榎(桜、松)を植えました。

垂井の一里塚は江戸日本橋から112里で、南側の一基だけがほぼ完全に残り、国の史蹟に指定(昭和5年10月3日)されています。また塚の頂上には、関ヶ原の戦いで淺野幸長が、ここに陣を構えたとされる石碑が、有ります。中山道には国指定一里塚は二つあり、ここはその一つで現存する貴重な一里塚です。 もう一つは、東京板橋区志村にあります。

また垂井一里塚の東側には、日守の茶所があります。

《 雪の一里塚 》 平成24年 1月26日

《 雪の一里塚 》 平成23年12月25日撮影

雪の一里塚

《 今の一里塚 》 平成24年4月29日撮影